創作小説

小説を主に掲載していきます。

回り道 その6

 拓海がキッチンテーブルの椅子に座る。そこで智子はハタと困る。
「拓海君ゴメン。時間がアレだから、未だお昼ご飯の用意、出来てないのよ」
 年配になると「アレとかそれ」等の抽象的な言葉が増える。でも、さすが日本人の拓海。意味するところは分かっていた。


「別に何でも良いよ。俺、朝飯未だ食ってないから」
「あらそうなの、じゃあ、直ぐ作って上げるね」
 拓海との会話が成立することに、智子は一種の感動を覚える。


 智子は冷蔵庫から食材を取り出す。冷蔵庫の中は智子の用意した食材がたくさん入っていた。
 食材は、料理の為の物を購入して欲しいと、大介からお金を預かっている。


 薄切りの豚肉と根ショウガの塊を取り出す。フライパンを弱火で温めている間にショウガと少しの調味料、そして醤油を入れてタレを作ると豚肉を浸す。
 一気に火力を強めたフライパンに豚肉を入れる。あっという間に食欲を掻き立てる匂いが立ちこめる。


 出来上がった豚肉の生姜焼きを皿に盛ると、ご飯と一緒にテーブルの上に出す。そして、急いでレタスを手切りし軽く水洗いすると、切ったトマトと一緒に別皿に盛り付けた。
「野菜も食べなければ駄目よ。マヨネーズが良い? それともドレッシング?」
 5分も掛からずに作り上げる手際よさ。見事である。 


 智子は、モクモクと食べる拓海の横顔を見ながらうっとりする。
(この子は良い子だわ。この子なら立ち直れる)
 智子の眼は、愛しい我が子を見つめるような眼差しになっていた。


 二の矢


 根草大介は結菜の受験合格を祝いたいと、沢登母娘に電話で提案する。
「嬉しいけど、結菜が喜んでくれるかどうか?」
「ウチで料理を沢山作り、パーティーをしようよ。智ちゃんの料理美味しいから、材料一杯仕入れてさ。智ちゃんは大変だろうけど、俺も及ばず乍ら手伝うからさ。特大のケーキも用意する」
「分かった。私、料理は苦じゃないから良いんだけど。とにかく結菜に聞いてみる」
 当然のように、結菜に異論など無く、大喜びで賛成する。

 この頃には、智子は務めていたスーパーのパートを辞め、根草家に平日の9時頃から3時頃まで家政婦のように通っていた。
 パーティーの日を週末と定めると、智子は前日に沢山の材料を仕入れる。キッチンは自分の使いやすいように、既に配置換えも済んでいる。
 アパートの自宅キッチンとは比較にならないスペースを、彼女は活き活きと動き回り下準備をする。
 当日、昼過ぎに大介と優奈は車で注文して置いたケーキを受け取りに行く。パーディーの準備は着々と進んで行く。
 


 智子は亡くなった夫と東京で知り合い、やがて、長男という事で三重の夫の実家に入った。智子にすれば、近くに身寄りの全く居ない地域、他人の家に乗り込んだのだ。彼女は、戦場に飛び込む気持ちだった。
 当時、舅、姑、夫の末弟迄もが居座る家で、彼女の自由は無いと言えた。しかし、持って生まれた負けん気が、東京に戻りたい気持ちを抑えた。
(この人達を絶対に私の言いなりにしてみせる。それまでは逃げない)
 智子は自分の心に誓った。


 元々好きだった料理。関東と関西の味付けの違いはあったが、彼女は工夫して夫の実家の味を作る。最初は姑が料理に口出ししたが、やがて、姑の舌も掴むようになった。
 結果、智子は美味しい料理を提供することで一家の心を掴み取り、ある程度の権限も同時に得た。


 昔は、料理が美味しければ夫は必ず家に帰ってくると言われた。その言葉が言われていた時代は、男の浮気というか女性関係は案外奔放だった。男が家に帰らないとか寄りつかなくなる事もしばしば有ったという。
 そんな背景の中で呟かれた言葉なのだろう。


 現在に於いても、男性が調理しようが、女性が調理しようが、美味しい料理が待っていれば、家に真っ直ぐ帰りたいと思うのは同じだ。
 もし、その美味しい料理が自分で作れるのなら、調理するのが楽しいと感じても可笑しくは無い。
 そういう人達の中の一人が智子なのだろう。


「やっぱりお母さんね。レパートリーも豊富だし、味も良いし。だから私、痩せないんだわ」
 結菜の単なる言い分け。
「叔父さんはね、ガリガリに痩せた女性よりも、少しぽっちゃりした女の子の方が好きだな。結菜ちゃんは、そのままで十分可愛いよ」
「そうかな? 今日は結菜のお祝いだから、リップサービスしてるんじゃないの?」
「私は嘘を吐かないよ。じゃあ、ソロソロ智ちゃんの料理を満喫しようか」
 テーブル一杯に並べられたご馳走を前に、大介が椅子に座る。
「チョット待ってよ。拓海君を呼ばなくちゃ」
 智子が言った。


「忘れていた。でも、多分呼んでも来ないよ、拓海は」
 父親の大介が、悟っている様に言う。
「あら。叔父さんは拓海君の親でしょ。冷た過ぎるよ。私が行って連れ出して来る」
 結菜は何の屈託も無く明るく言う。とは言え、彼女に勝算があるわけでは無い。