創作小説

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ほら探日記Ⅱー32 恋慕の果てに 3


 10時を回った頃、和枝はフロントに向かった。
「女将さんに伺いたいことがあるのですけど、お時間頂ければ有り難いのですが」
 年老いた受付の男性は、女将を呼びに行ってくれた。
「どんなご用でしょうか?」
 50代くらいの女性だ。


「こちらに、由井結実子さんと仰る女性が居ると聞いて伺ったのですか?」
「結実子は此処にはいません」
 怪訝そうな表情で答える。


 女将の答え方から、由井結実子なる人物を知っていることは確かと和枝は悟る。例え女将が知っていたとしても、喋ってくれないであろう事は和枝も十分承知している。
 そこで和枝は、用意して来た作り話を始めた。


【私は今、認知症初期の母の面倒を看ている。理由は分からないが、その母が繰り返し若き頃の由井結実子さんの話をするようになった。当時、母は結実子さんの上司のような指導的立場だったようです。その様な関係で、親しかった印象深い結実子さんを今でも想い出すのでしょう】
 木村和枝はそう話す。
 そして、
「母が『会いたいね。今何をしているのだろう?』としきりに言うのです。私としては何も出来ないが、せめて結実子さんの近況を伺い、母に伝えることが出来たなら、母も幾らか気持ちが落ち着くのでは無いかと。そう思いまして、娘の私が母から聞いた内容を頼りに、こちらの旅館に伺わせて頂きました」


 更に、信憑性を高めるために、和枝は丸畑から聞いた話も混ぜ込む。


「母は、事務員をしていて、そこに、結実子さんが中途採用で入社されたと。その会社に来る前は、喫茶店でウェイトレスとかをされていたそうですね」
 恐らく女将は、結実子の姉妹か親戚に当たる人だろうと和枝は推測していた。結実子に近しい人なら、彼女の東京でのエピソードを聞いている可能性がある。


「あーあ。そう言えば、姉も東京で働いていた時、先輩の事務員さんに大変親切にして貰ったと言ってましたわ。その時の人が貴方様のお母様だったんですね」
 なんと、創造上の先輩女子社員が現実に居たとは幸運であった。しかも女将は、和枝が睨んだ通り、結実子と姉妹関係だった。


 最も、和枝の作り話は全くの創造話では無かった。丸畑の話の内容から、その様な先輩社員がいたのではと感じて作り上げたストーリーだった。


 和枝の巧みな話術で、由井結実子の所在や状況を女将から見事に引き出す。この木村和枝の有能さがあるからこそ、保来探偵社が潰れずに遣ってこられたのである。



 保来信次郎は、由井結実子の情報が得られたと丸畑に連絡する。丸畑は、翌日事務所に現れた。
 妻の居る丸畑は、自宅に保来を招き入れ報告を受けるという訳には行かない。
「やー、苦労しました」
 そう、丸畑に話しかける信次郎。自分は殆ど何もしていないのだが。


「お疲れ様。それで、由井君は居ましたか?」
 彼は、待ち切れないという風である。
「残念ながら、結実子さんは旅館には居ませんでした」
 丸畑はそれを聞いて、がっかりしてソファーの背もたれに寄りかかる。


「現在、その旅館で女将をしているのは妹さんでした。結実子さんは他に嫁いでいました」
「そうか。嫁に行っていたのか・・・。それで、今どこで何をしているかも調べてくれたんでしょうね」
 丸畑は、身体を起こし前のめりになって聞く。


「勿論です。何処に行ったのか分からないでは、探偵社なんて言えませんからね」
 勿体ぶる保来の顔をジッと見つめ、丸畑は眼で次の情報を催促する。


紫陽花の庭: ほら探偵シリーズ
紫陽花の庭: ほら探偵シリーズ
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浅羽・宮下ら刑事、その他ヤクザや外国まで出てくる、ほら探偵シリーズでは珍しい事件物ストーリーです。