ほら探日記Ⅱー22 巡り合わせ 5
白髪の混ざった口髭と顎髭。目には老眼鏡。深く被ったハンチング帽子からはグレーの髪の毛が覗く。保来孝太郎である。
その風貌は、彼が失踪した時とは大きく変わっていた。彼を一目で孝太郎と見抜く者は、恐らく誰一人居なかったであろう。信次郎やその家族さえもである。
孝太郎も、自分であると見抜かれぬよう、多少変装のテクニックを使っている。
彼は、元は探偵なのだ。
今、彼は東京下町の以前住んで居た地に立ち、三階建ての建物を見つめている。
前回、この場所を訪れた時は更地になっていた。
一階は店舗か事務所用として造られている。二階は賃貸物件の様だ。 三階は彼の位置からでは良く分からない。
その一階の一部屋には、学習塾の宣伝文字がガラス面に大きく貼られていた。そして、その横に、孝太郎の目に強く入って来る「保来探偵事務所」の看板文字が控えめにある。
「信次郎の奴、やはり俺の仕事を引き就いていたのか」
週刊誌に載った保来探偵は、間違いなく彼の息子・信次郎のことだった。
「この土地は売られてしまったとばかり思っていたが、古い家を壊してアパートを建てたのか。商売に小(こ)才(さい)が利くユキの考えそうな案だな」
改めて、妻である旅館の女将、ユキの商才に頷く。
「それにしても、信次郎が今時事務所なんて付けてるようじゃ駄目だな。保来探偵社の方が格が高く感じるのに」
孝太郎は、ネーミングにもデザインにも、考慮が必要との自説を持つ。
後に、彩音に保来探偵社と社名を変えるよう提言させたのは、孝太郎の指示であった。
建物を眺めて一顧するのも此処までだった。孝太郎は、息子が営む探偵事務所に行って見たいという気持ちが襲う。
だが、足が進んでくれない。
今更息子の前で、何をどう弁解出来るだろうか。確かに秘密裏に隠れる理由があった。しかしそれは、家族の前では言い訳にもならない。
孝太郎は息子との対面を諦めた。その代わりなのか、彼が探偵業現役だった頃の様子が浮かんで来る。
殆ど役に立たなかった息子の探偵アルバイト。遊びほうけてばかりの情けない信次郎の姿。片腕となって優秀な働きをしてくれた木村和枝。当時の事務所の様子。
それらが孝太郎の脳裏を駆け巡る。彼は、懐かしい想い出に胸が熱くなった。
孝太郎が追憶に耽っていると、探偵事務所から一人の女性が出て来た。
「和枝君? 彼女は未だ居てくれてたのか? 能なし信次郎の仕事を助けてくれていたんだな。頭が下がるな」
孝太郎は、木村和枝の姿を見て安堵する。彼女は、探偵業をさせても立派に熟せる能力があると、前々からそう見ていた。
木村和枝が孝太郎の姿を見て。視線を向けて来た。孝太郎は無意識のうちに視線を外す。そして、何気なくその場から立ち去る。
和枝が後を追い掛けて来ないところを見ると、彼女は孝太郎とは気付かなかった様だ。
見つからずホッとすると同時に、一抹の寂しさを感じる。後ろ髪を引かれる思いを残し、孝太郎は北海道の地に戻る。
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