創作小説

小説を主に掲載していきます。

ほら探日記Ⅲー4 恋の季節 1

 恋の季節


 保来探偵事務所は今日も平穏安泰だ。もっとも、仕事が来ないのだから波風が立つわけが無い。
 もはやこの会社は、税金対策の為に存在していると言っても過言では無い。


 そんな中、アパート経営は順調だった。
 暇な癖に、1階の事務所タイプの部屋を陣取っていた事務所。それがん2階のワンルームへと移った。
 その後に会計事務所が入り、道路際のテナントは学習軸からパン屋に変わった。


 10時を回ってノコノコ事務所に現れた信次郎。
「彩音! お前、朝飯手を抜いたな」
「自分で作れば良いじゃ無い。どうせ、仕事が無いんだから」
「お前だって、事務所を掃除するぐらいしか仕事が無いだろう」
「作り置きしたら美味しくなくなるでしょ。料理は作りたてが美味しいのよ」
 彩音は決して負けてない。


「それにしても、最近はパン食が多いな」
「テナントさんの応援して上げなくちゃね」


 アパートの1階に入ったパン屋さん。未だ未だ知名度が低いようで、差ほど忙しくはなさそうだった。


 暫くして、保来信次郎は実家である旅館に帰ってみようと思い立つ。木村和枝の件が気になる。
 心に重い物が残っているのなら、取り除いて上げたい。そう思ったのである。


 旅館に帰る前、信次郎は仲居さん達のおやつに買っていこうと思い立ち、パン屋に寄る。
この店で、唯一の店員である若者がせっせと出来上がったパンを並べていた。


 挨拶を交わした信次郎が言う。
「やはり、若い人のキビキビした動きを見ると気持ちが良いね」
「そうですか? そう言って下さると嬉しいです」
 奥の方から、この店の奥さんの声が聞こえた。


「今日は旅館の人達のお土産にパンを持っていこうかと思って」
「ありがとうございます」
 奥さんが顔を出す。


「陸ちゃん、綺麗に包んで上げて」
 若者の名前は陸と言う。
 このパン屋は、夫婦と甥っ子の陸と3人で経営していた。


「なんかね、彩音さんにはいつも買って頂いて。有り難うござます」
「私たちは結構パン好きなんですよ」
 大人の世界。リップサービスの一つも言わなければならない。


 パン屋の奥さんは信次郎と彩音との間を、世間話をしながら尋ねる。勿論、夫婦は既に知っている筈である。
 どうやら、興味は彩音にあるらしかった。


 そう気付くと、陸の様子が少し可笑しい。時々手を休め、聞き耳を立てている。
「そうなんですか、彩音さんは今、彼氏居ないんですね?」
「結構跳ねっ返りなところがあるから、彼氏なんて出来ないんでしょう」
「陸!、彩音さん、彼氏居ないんだって」
 言われた陸は、ドギマギする。
「いやー、俺、そんなんじゃ・・・」
 最後は口もごる陸。


「実はね、陸は彩音さんが買いに来るのを楽しみにしてるのよ」
「違うって。言うなよ」
 陸は慌てて否定するが、奥さんは構わず続ける。


「私って、ウジウジするのって嫌いなので。申し訳ないけど、お兄さんの方から彩音さんの反応を見て貰えないかしら」


 それにしても、テナントとしてパン店が入って未だ数ヶ月。商売よりも甥の陸を気にしているとは、彼が相当可愛い存在なのだろう。



「ボチボチ出掛けるけど、和ちゃんへの言付けはあるか?」
 信次郎は出掛ける前に彩音に声を掛ける。
「ない」
「所でよ、彩音はパン屋の若いしどう思う?」


「別にー。時々内緒でサービスしてくれているみたいだけど、何かあったの?」
「お前のこと、好きみたいだぞ」
「そーなんだ。私には、そんなことどーでも良い。勝手に好きになれば」
 彩音はあっさりと答える。

ほら探日記Ⅲ-3 実父 3

 健一は、当時を回想するように弱い声で話す。
「俺が気が短く短気だっただけに、敏子達に迷惑を掛けてしまった。申し訳なく思っている」
 和枝は何も言えなくなった。彼女のイメージしていた父親と違っていたからだ。


(若しかしたら、私があなたの子供だと気付いているのでは?)
 そう思えてくる。


 その時、看護師が検温のために病室に入ってきた。
「私、お花を花瓶に生けてきます」
和枝は、ともかくも病室から抜け出したかった。一度、気持ちの整理がしたかったのだ。


 すると、
「あなたのお名前は?」
 健一が、ベッドから離れようとする和枝を引き留めるように言う。
「和枝です・・・」
「名字は木村ですね。木村和枝さんですね?」
「はい・・・」
 健一は、和枝が敏子の娘だと踏んでいる。


「間違っていたらご免なさいね。和枝さんは若しかして私の娘ではないですか?」
 やはり健一は、察していた。
「どうしてそう思うのですか?」


「正直言って、自分は傷害行為を起こしたばかりに、警察から逃げ回った。時効が過ぎてから、敏子を探して歩いた。あの旅館に行って直接聞くわけに行かないので詳しく知ることは出来なかった。だが、敏子が妊娠して旅館を追い出されたのを風の便りで聞いた。だけど、その後を追いかけるのは自分には不可能だった」


 健一は母をボロ雑巾の様に捨てたのでは無かった。彼なりに一生懸命探していた。しかも、不確かではあるが、和枝の存在も耳にしていた。


「お母さんは? 元気で居るのか?」
「私が幼い頃に病気で亡くなりました」
 和枝は涙ぐんでいた。
「そうだったのか。済まなかった」 
健一も瞳を潤ましていた。


 そこに看護師が現れ、健一の検温順番となった。看護師が去ると、健一は和枝の生活状況を尋ねる。
 和枝は、保来家に拾われ、今は幸せに暮らして居ると答えた。
「そうか。私を探し出してくれた人が、あなたの恩人の保来さんだったのか。保来さん一家には、感謝しても仕切れないくらい有り難い」


 本当は、和枝との関係がハッキリした以上、健一には「あなた」というより「和枝」と呼んで欲しかった。


 健一は更に、
「あの世で敏子に会えたらなら、俺たちの娘は幸せに暮らして居ると報告するよ。
喜ぶだろうなー。おっと、その前に敏子に跪いて謝らなければな」


 木村和枝はナースセンターに寄る。
「お願いしたい事があるんですが・・・」
「はい。どんな御用ですか?」
 先程検温に来た看護師だった。


「鈴木健一さんの事ですが、悲しいことですがもう永く無いと伺っています。色々事情があり、私はもう来られません。お手数を掛けますが、もしお亡くなりになった場合、日時だけで良いですので、私宛にメール頂ければ。お願い出来るでしょうか?」
 和枝は用意して来た、自身のメールアドレスを記したメモを差し出す。


「家族以外の方の場合、そのような用件は受けられません。ですが、あなたと鈴木さんの会話が耳に入ってしまいました。鈴木さんの娘さんだったのですね」
 看護師は、病院としては受け付けられないが、彼女が個人的にメールを送ってくれると約束してくれた。

ほら探日記Ⅲ-2 実父 2


 父親だという男の名前は鈴木健一。健一と和枝の母・敏子は、同じ旅館で働いていた時に深い関係になった。
 妊娠したのを知り、敏子が健一に伝えようとした直前、調理人だった健一が料理長と刃物沙汰となり、彼はその日のうちに姿をくらましてしまった。


 料理長に深手を負わせただけに逃げるのに一生懸命で、彼は敏子の事まで気が回らなかったのだろう。とは言え、愛し合った敏子をそのままにして自分だけ逃げ出す行為に、和枝は少なからず恨みを持っていた。


 その様な経緯から、鈴木健一は和枝の存在を知らないまま今日まで来たのは致し方ないとは思う。
 しかし、和枝の気持ちにわだかまりがある以上、父に会うべきかどうかで、彼女は悩んだ。


 そんな気持ちを、健一の余命幾ばくも無いという病気が後押しして、会ってみようとの決断を彼女にさせた。


 受付で、和枝は姪と記した。花束を持った女性という事もあり、看護師はすんなり鈴木健一の病室を教えてくれた。
 病室は大部屋。空きベッドもあるようだが、複数の人の息づかいが聞こえてくる。
 さすがの和枝も緊張する。


 健一のベッドは窓に近い場所。隣の窓際ベッドは空いていた。彼は眠っているのか瞼を閉じている。
 和枝はしげしげと健一を見下ろす。
(この人が私の父なのか)


 すると、人の気配に気が付いたのか、健一の瞼が開いた。
「どなた?」
 突然だったので、和枝は動揺する。
「あっ、私、以前父が鈴木さんに大変お世話になったそうで、病気と伺い、父の代理で来ました。父も体調が優れないものですから」
 咄嗟に誤魔化した。


 健一はジーッと和枝を見続ける。その視線が、和枝をいたたまれない気持ちにさせる。
 暫くして
「若しかしたら、木村敏子さんの関係者かね?」
 和枝は驚いた。母を「さん」付けで呼んだのも驚く。


「違いますが、どうしてその様に感じたのですか?」
「自分を訪ねて来た人物が居ると、看護師さんから聞いた。自分が病気でこの病院に入院している事は家族以外は知らない筈。その人物の様子を聞くと、刑事か探偵のように思える」
 健一の読みは余りに鋭かった。彼は今日まで、自分の為した傷害行為に怯えて暮らしていた節がある。


「刑事なら堂々と顔を出す。探偵なら、思い当たるのは敏子の事しか無い」
 そして再び、和枝をマジマジと見る。
「敏子さんの娘かね?」
「何故そう思うのです?」
「かなり記憶が薄まってしまったが、敏子の面影が貴方にあるように見える」
「その敏子さんと言う人は、どの様な関係の人ですか?」
 和枝は、健一が自分をどう見ていようと構わず質問する。

ほら探日記Ⅲ-1 実父 1

ホラ探偵のらりくらり日記Ⅲ

 実父


 保来孝太郎、平原幸恵コンピも北海道の牧場に戻った。


 再び、アパート3階の信次郎の家は静かになった。何だかんだと言っても、誰も居なくなると寂しい。
 父・孝太郎は置き土産に、「ほら探偵信次郎」の名刺を知人などに置いて来たと言った。
 とは言え、調査依頼なんてそう簡単に来るものでは無い。しかも、浮気調査なら断るつもりなのだ。
 メインの調査を受け付けないとなると、後は殆ど無いに等しい。況してや、少しは名が売れたが、極小探偵社を頼ってくるなんて期待できない。


「どうしようかな。このまま、営業している振りして事務所閉めておこうかな。『只今調査中で受付できません』って書いて貼っとけば何の問題も無いし」
 明らかに、仕事への意欲が薄れてしまっている。


 無為に半月ほど経った或る日。
「只今!」
 元気の良い若い女性の声が聞こえた。彩音の声だ。


「どうしたんだ? 旅館の女将修行はギブアップか?」
「ムリムリムリ。私には無理だわ。下手すると仲居さんより動かなければならないのよ。もう、雑用係よ」
 予想通り、彩音は続かなかった。


「当たり前だろ。最初っからドカッと座っていられるわけが無いだろ」
「とにかく無理。私、探偵の方が合ってる」
「お前、俺の所だと仕事が無いから、遊んでられると踏んでるんだろ」
「まあね。お兄ちゃんと同じよ。何か悪いの?」
 信次郎は返す言葉が無い。


(全く。慣れるとこうだもんな。身内って図々しくなり過ぎるよ)
 信次郎は愚痴る。


「マアマア、兄妹仲良くやりましょう。もう、和枝さんは此処には戻らないんだし、お父さんやお母さんも、もう東京に来るつもり無いって」
「和ちゃんが彩音に、そう言ったのか?」
「そうよ。残念ね。折角仲良くなれたのに」
 腹の立つ言い方だ。


「そうそう、お父さん達に聞いたと思うけど、矢っ張り和枝さん、実の父親に会いに行く見たい」
「チョット待て。和ちゃんの実父? 俺はそんなの一言も聞いてないぞ」
「あらそうだったの? お父さんが東京に来た目的の一つは、和枝さんの父親を捜し当てることだったのよ。私もついこの間その事を聞かされたんだけど」


 とにかく信次郎には驚きだった。
 木村和枝の両親の過去は、少しは聞いている。しかし、和枝の父親は和枝が生まれたことすら知らない筈。
 それなのに、孝太郎が実父を探し出した。それが和枝にとって良いことなのか?
信次郎は先ず、その事が頭に浮かぶ。


「親父といえども、あんな短い期間で探し出せるわけが無い。以前から探していたとしか思えない」
「その通りよ。お父さんの話だと、探偵事務所を立ち上げた頃から探していたんだって。北海道に住んじゃったから間が空いたけどね」


「それで、和ちゃんの反応は? どうだったんだ?」
「う~ん。和枝さんって余り表情に出さないじゃ無い。分かんない」
「分かんないのかよ。いい歳して気持ちを読み解く技術ぐらい身につけろよ」
「なによ、和枝さんの事となるとムキになって。私を責めないでよ」
 最もである。信次郎は反省する。謝りはしないが。


「分かった。とにかく和ちゃんは父親に会いに行くんだな。良い方向で収まってくれれば良いが」
「大丈夫よ。和枝さんは優秀な人だもの。みんなに迷惑を掛けないよ」
彩音が、自信溢れた言葉で返す。


 
 木村和枝は自ら車を運転して、静岡方面に車を走らせる。信次郎の父、保来孝太郎が探し出してくれた、自身の実の父親に会いに行く為である。

ほら探日記Ⅱ最終章 秘密の調査 3

 保来孝太郎は、書類などを入れる大きな茶色の封筒、保存袋を木村和枝に渡す。
「その中に、和ちゃんのお父さんの調査結果が入っている。住所も、家族構成も。そして、今入院している病院も記述してある。残念ながら、直接会っていないので写真は得られなかった。目を通すのも嫌なら、捨てるなり燃やすなりしなさい」
 和枝は軽く会釈をして、保存袋を受け取る。



 孝太郎と幸恵が東京に戻る。
「どうだった? 一戦交えたの? 母さんは何て言った?」
 信次郎が矢継ぎ早に問いかける。


「うるさいな、わしも母さんも立派な大人。揉めたりなんかするものか」
「なんだ。拍子抜けするな」
「信次郎は、わし等が激しく遣り合って欲しかったのか?」
「そうじゃないけどさ。それで、結果は? 離婚するの?」
「ああ」


「矢っ張り、幸恵さんと結婚するんだ」
「不服でもあるのか?」
「いざ、本当に別れて仕舞うとなると、なんかね。でも幸恵さんには良い事だな」
 信次郎は力なく言う。


「ありがとう。だけど、私たちが籍を入れるかどうか決めるのはこれからよ」
 幸恵が答えた。
「父さんはこれから北海道で暮らすんだね。幸恵さん、父さんのこと、宜しくお願いします」
 信次郎はまるで、今生の別れのように寂しそうな表情をする。


「私たちの身の置き所が決まったら連絡するわ。信次郎さんも是非、北海道にいらしてね」
 保来孝太郎は朝早くから出掛けたる。信次郎はそれを知らずにキッチンに現れた。
「父さんは?」
「出掛けた」


「挨拶回りか。死に際の顔出し回りみたいだな。必要ないんじゃ無いの?」
「もう東京には来ない積もりなんでしょ」


「そうなの? もし彩音が東京で結婚するとなったら、それでも来ない積もり?」
「その時は別ですよ。孝太郎さんは総ての未練を切って置きたいだけ。ケジメをつけたいのね」


「所で、和ちゃんはどうなるの?」
 信次郎には、和枝の父親が見つかったことを未だ話していない。


「どうなるのって?」
「例えば、此処に戻って、また俺と一緒に探偵業を続けたいとか。そう言って無かった?」
 信次郎は、未だ未練たらしく和枝の戻りを待っている。


「恐らくそれは無いと思う。ユキさんをサポートして若女将の座に座るでしょ。そうしてユキさんは何れ、和枝さんに女将の座を譲って隠居すると思う」
「うそー。それじゃあ、俺はどうなる?」
「信次郎さんが旅館に戻り、支配人になれば総て丸く収まるでしょ?」


 信次郎としては、旅館業を継ぐ意志がない。何れそうしなければならなくなるという気持ちはあるが、とにかく今は絶対に嫌なのだ。


「母さんはとうとう、和ちゃんの首に縄を付けてしまったか」
「そう言う言い方は、お母さんが可哀想よ」


「だってそうじゃない。今まで何の問題も無く、自由気ままに一緒に仕事をしてきたのだから。お袋の思いのままになるなんて、和ちゃんは今でも恩に縛られているのかな?」
「それは違うでしょね。和枝さんは自ら進んで女将の道を選んだと思う」


「その証拠は? 和ちゃん自身がそう言ったの?」
「言ってません。こうなったのは、私は縁だと思う。一見信次郎さんとの縁が深いように見えるけど、本当は和枝さんとユキさんの縁の方が強いのよ。繋がりが強いから二人が引き合って、和枝さんはユキさんの元に戻った。そう考えた方が自然でしょ」


「和ちゃんは旅館業の方が好きなのかな?」
[信次郎さんと違って、嫌がってはいないわね」
 幸恵は笑う。


「だって、直ぐそこに女将の座が待っているのよ。大変かも知れないが、旅館での長になるのよ。和枝さんの半生を孝太郎さんから聞いてるけど。ゼロから始めて一国一城の主になるのと同じでしょ」
「そうか。今まで和ちゃんは自分を抑えて生きてきたんだ。その位当たり前だよな」
 保来は、今日までを述懐して納得する。


「もう一つだけ、私が感じたことを言わせて。和枝さんは頂点に立ちたいわけではないと思う。飽くまでも、保来家、旅館、を守り抜く橋渡しを担う積もりよ。彼女もまた、後継者を育てるために苦労するでしょ。敢えてその苦労を引き受ける覚悟が出来たのだと思う」
「そんなにまで俺たちの事を思ってくれているんだ」


「和枝さんにとって、それは決して苦とは感じないかもね。むしろ、悦びでもあるかも知れない」
「そうだな。それって、俺にも何となく分かる気がする」 


 和枝はもう戻って来ない。逢いたくなったら自分が旅館に行くしか無い。信次郎はそう悟る。
【今回でほら探偵のらりくらり日記Ⅱを終了します。次回からは3部めに入ります。】