創作小説

小説を主に掲載していきます。

回り道 その4

 引っ張りだし作戦開始


 沢登智子が、根草拓海を部屋から出す為に2階に上がる。
 智子が、2階の拓海の部屋に行く姿を見て、大介が結菜との会話に持っていく。
「高校の志望校は何処なの?」
 結菜は志望校を上げる。それを聞いた大介は喜ぶ。


「その高校、ウチからの方が近いかも知れないね。乗り換え一回挟むけど、家から駅までの距離。駅から学校までの歩く距離を計算に入れると、やはり、我が家の方が近い」
「叔父さん、何で知ってるの?」
「去年、いや一昨年前から拓海の進学校関係で結構調べたからね」
「ふーん。でもね、私の家の住所まで、何故知っているの?」
 大介は一瞬、不味いと思う。


「この間、法事が有っただろ。おじさんのお父さんが中心で行(おこな)ったから、その時の出席者の名簿整理をおじさんが担当したからね」
 彼は、何とか誤魔化す。


 そこに智子が2階から降りて来た。
「やっぱり、駄目だった。なによ?あの強情さは。ウンともスンとも言わないよ。大ちゃんに似たの?」
「おれはそんな、変な意地は張らないよ。やはり、反抗期なのかな?」
 そこに結菜が口を挟む。


「何言ってのよ。顔を合わしたことが無いお母さんが何を言った所で、『はい、分かりました』って、出てくるわけが無いでしょ。顔を出すくらいだったら、最初から引き籠もってなんかいないよ。まったく、大人なのにそんな事も分からないの?」


 結菜の言葉はご尤も。勿論大介とて、拓海がすんなり部屋から出てくるとは端から思っては居ない。
 寧ろ、智子の説得に応じて拓海が部屋から出てくるようであったら、大介は拓海を情けなく思ってしまう。
(これで良い。すんなり解決してしまったら、詰まらない)
 何を画策しているのか、大介は心の中でほくそ笑む。


 回転寿司店で、結菜はお皿を積み上げる。
「受験勉強があるから、タップリ栄養を摂っておかなければ」
 彼女はそう言って食べまくるが、太らないかと大介の方が心配する。


「智ちゃんさー、どう遣ったら拓海を部屋から出せると思う?」
 大介が、話題を拓海の件に振る。
「あなた達、親が悪いんでしょ。もう一度よりを戻したら?」
「冗談じゃ無いよ。折角別れられたのに」


「ねえ、拓海君の引き籠もり。本当に両親の離婚が原因と思っているの?」
 結菜が食べるのを止め、話し出す。
「えっ、どう言う意味?」
「結菜はね、原因は学校にあると思う。拓海君、虐めとかに遭ってたんじゃ無いの?」
「そうかな? そんな気配は全く感じなかったけどな」


「だってさ、彼はもう高校生でしょ。親の離婚で傷つき引き籠もるなんてあり得ないよ。叔父さんは学校側とコミュニケーション取ったの?」
「一応、担任の先生から何度か連絡を貰ったけど。でも、虐めに遭っているような内容は無かったけどな」
「叔父さん、何か真剣じゃ無い!」
 その結菜の言葉が、大介の胸にグサッと刺さった。

 根草大介の気持ちを慮(おもんぱか)ったのか、沢登智子が結菜を窘(たしな)める。
「結菜。大介さんだって一生懸命に対応したのよ。でも、男でしょ。会社とかもあるし、かかりっきりにはなれないのよ」
「だったらさ、お母さんが拓海君を助けてやれば良いじゃ無い。このままじゃ、彼、本当に引き籠もったままになっちゃうよ」
「私がー? どうして?」
 智子が、如何にも関わりたくないという表情を浮かべる。


「そうだね。結菜君の言う通りかも知れない。どうだろう。ここは一つ、智ちゃんの力を借りられないだろうか?」
 渡りに船とばかりに、大介が懇願する。


「えー、どうしてそうなるの? 私だって、仕事があるのよ」
「じゃあ、こうしたらどうかな。今働いている店に一週間ぐらい休暇をお願いする。その間、拓海にアタックする。もし、店側がクビにしたのなら、一ヶ月でも半年でも俺がその給料分を出す」
「お母さん。それ、私も賛成。だって、拓海君、可哀想なんだもの。それに、今だったら未だ間に合うかも知れないし」


 智子は暫く渋ったが、結菜の口添えも有り、結局彼女は大介の案に応じる。



[Music] 曇りのち時々晴れ & 東京スカイツリー

回り道 その3

 後日、智子から連絡があった。気乗りしないが遣ってみると答えた。大介の息子・拓海を部屋から引っ張り出す作戦である。


「やったぜ。先ずは切っ掛けを作れた。しかしこの電話番号、変わって無いじゃないか。智子め、俺と近づくのが嫌だったという事か」
 智子に嫌われては居ないようだが、避けられているのは確かなようだ。 
「まあ、そんなことは気にしない。次の作戦を練らなくては」
 折角作った切っ掛け。逃してなる物かと、大介は色々と思案を巡らす。


 翌土曜日。沢登母娘は昼過ぎに遣って来た。
「こんにちは。初めまして。結菜です」
「こんにちは。ええー、結菜ちゃん、すーごく可愛いじゃ無い」
 先ずは来客に良い気持ちにさせる。それも一つの作戦。だが、結菜は確かに可愛かった。さすが智子の娘と、大介は思う。


「ありがとう。みんなからそう言われます」
 なかなかの返答だ。
「結菜、調子に乗るんじゃ無いよ」
 智子が、軽く結菜を叱る。


「明るくて良い子じゃ無い。羨ましいな」
「仮面よ。ウチに居るときには、超生意気よ」
 大介は、ここでこの母娘に深入りしてどちらかに肩入れしているように見られたら不味いと思い、満面の笑みと笑い声で、
「さぁ、さぁー。とにかく上がって」
 と、リビングへ招き入れる。


 結菜は、全く遠慮せずに辺りを見回す。
「結構リッチって感じ。おじさんちは金持ちなの?」
「これこれ。何て失礼なことを」
 智子が諫める。


「いいから、いいから。二カ所から給料貰っているから、少しはお金、有るかな」
「いいなー。私んち、超貧乏」
「当たり前でしょ。母子家庭なんだから」
「大きそうな家に見えたけど、部屋、幾つあるの?」
「そうだな。下は水廻りとキッチン、リビング。それに6畳ぐらいの洋間。和室にしようとも考えたけど、結局洋間にした。2階は4部屋。自分用の書斎みたいな部屋と元女房の部屋。それに子供用部屋に来客も泊まれるようにもう一部屋。トイレも2階に作ってあるよ」


「例の拓海君って、子供部屋に籠もっているの?」
「うん。拓海が小学校に入った機会に、今日から拓海の部屋だよって一部屋与えた」
「贅沢させているんだ。だから、甘えん坊に育ったんだ」
「こら、生意気言うんじゃ無い」
 智子がまた結菜を叱る。


「じゃあ、そろそろ昼ご飯を食べに行こうか。何を食べたい?」
「イタリアン」
「そうか。若い子には人気なんだな。おじさんはどっちかというと、自由に選べて沢山食べられる所が良いと思っていたんだけどな」
「どんなお店?」
「お寿司屋さん」
「あー、それ良い。結菜もそこにする」
「よし、みんなで回転寿司に行こう」
「えーぇ、回転寿司? しょぼー」
 結菜の言葉に、大介は大笑いする。


「そう言うと思ったよ」
 彼は更に笑い続けながら、
「高級レストランとかも考えたよ。でも、近くに無いしね。割烹料理で気取っても良いのだけど、大概予約が必要だしね。拓海が行くかどうか分からないから人数決まらない。そんなわけで結菜君、今回は回転寿司で我慢して。次は高級な店、連れてって上げる」
「しょうが無いな。分かった、我慢して上げる」


「結菜! いい加減にしなさいよ。いくら親戚の叔父さんだからって、言いたいことを言って。駄目でしょ!」
「良いじゃ無いか。かしこまってだんまりしているよりは」
 大介が、取りなすように口を挟む。
「まったく、恥ずかしい。とにかく結菜は、明るいのが取り柄だけ」
 智子は、困ったものだという顔をして言う。  

 一方、大介はというと、
(この結菜という子は使える。母親より先に、この子を落とせばドンドン先に行けるぞ)
 彼は、心の底でニンマリする。



music 蝶の舞い
プロの作曲家では無いので、好きなように自由に曲作りを楽しんでいます。

回り道 その2

 智子が、結婚したと聞いた時には、正直大介はちょっとショックだったし残念に思う。とは言え、間もなく遠くに引っ越したので、暫し彼女の事は忘れていた。
 この法事で、暫くぶりに再開した智子に、彼は今、ある考えが芽生える。 


 根草大介は沢登智子に携帯番号を聞こうとする。
「これ、俺の名刺。裏にスマホ番号書いてある。智ちゃんの携帯番号も教えてくれる? 拓海の件で相談に乗って欲しいので」
「来週にでも番号変える積リなのよ。なんかね、義母が電話掛けてくるんで面倒で。どうも、次男三男の嫁さんと上手く行ってないみたい。愚痴を聞くのも嫌になって」
「そうなんだ。じゃあさあ、番号変更したら教えて?」
「うん」


 それから一週間。智子から何の連絡も無い。
「警戒されたかな。別に嫌らしい考えなんて無いのにな」
 果たして、大介に本当に邪心が無かったかは怪しい。


 大介は、久しぶりに実家に帰る。
「父さん。この間の法事、父さんが仕切ったんだろ。出席者名簿あるだろ。見せて欲しい」
「そんなの見てどうするんだ?」
「父さんの後を継ぐのは俺。一応、出席した親戚を把握しておきたいからね」
「何だ? 俺の葬式の為か?」
「またー。父さんがそう簡単に死ぬわけ無いだろ。いいから見せてよ」


 大介の母親が、出席者を記録したノートを差し出す。
「千葉の叔父さんも来てくれたんだね。俺と同じ年代のいとこ達は元気かな」
 一応、記されている名に反応する振りをする。


 勿論、出席者名簿に関心があるのは唯一つ。
(あった。これこれ)
視線を落とした名前は沢登智子。
(おっ、電話番号も書いてある)
 大介は、両親にわからぬようメモを取る。


「ありがとう。これ、返す」
 大介はノートを母親に渡す。
「拓海はどうなんだ? 相変わらず部屋に引き籠もっているのか?」
 父親が聞く。


「そうなんだよ。全く困ったもんだよ」
「あなたたち親が悪いのよ」
 母親が叱責する。
「うん。諦めずに努力してみるよ」
 大介は、そう答えるほか無かった。

 家に戻った大介は、メモを見ながら悩む。
「もう、番号変えちゃったかな。どうしよう。一応、この電話番号に電話してみるか」
 大介はメモした電話番号に掛けてみた。


 なかなか出ない。諦めて切ろうとした時。
「どなたですか?」
 訝る風な智子の声が聞こえて来た。
「智ちゃん、俺だよ、大介だよ」
「大ちゃん? 何の用?」
 智子は素っ気ない返事を返して来た。


「まだ、電話番号変えてなかったんだ。良かった。実はね。智チャンと娘さん。名前、何て言ったっけ。みんなで食事をしないかと思って」
「いいよ、そんなの誘ってくれなくて」
「頼む。そう言わず俺の願いを一度だけ聞いて欲しい」


「なに?」
「拓海に智ちゃんが声を掛けて欲しい。『みんなで美味しい物食べに行こうよ』って」
「私が言ったって、顔なんか出さないって」
「そこを何とか。例えば「叔母さんだけど久しぶりに拓海の顔を見たい』とか何とか上手いこと言ってさ」


「何か、面倒臭いな」
「そこを何とか。一度だけでいいから。反応しなかったらそれはそれで良い。俺たちだけで飯食いに行けば良いから。食べたい物奢るから」
 大介は同じ言葉を繰り返し、智子を拝み倒す。
「結菜が何て言うか分からないけど、聞いてみる」
 まるで乗り気の無い智子の声。しかし、大介は一歩進んだと満足する。



美しい八重桜の写真を掲載しています。総て以前に撮影した物。
曲はイマイチの感があるが、素人なのでこんなもんでしょう。

回り道 その1

 「回り道」
 大介筋書きを練る


「やあ、久しぶり。元気そうだね」
 根草大介はいとこの沢登智子に話し掛ける。
「うん。貴方もね。所で名前、何て言ったっけ?」
「大介」
「そうそう、大ちゃんだった」
 智子は、愛想笑いを浮かべ応える。


「旦那さんの葬儀に行けなくてゴメンね」
 二年ほど前に、智子の夫は亡くなっていた。
「いいのよ。三重県は遠いもん。それに、知らせてなかったし。でも、何故知ってるの?」
「親父が叔母さんから話を聞いたみたい」
 大介の父親の妹が、智子の母親である。大介から見れば、智子の母親は叔母に当たる。その叔母は、根草家から都県境を超えた地域に住んでいた。
 智子は、結婚して数年前まで三重県の旦那の実家で暮らしていた。その後、夫が他界したのを切っ掛けに実家の近くに舞い戻っていた。


【最新作の物語の筆が進んでいません。ですので目を通した方も沢山居ると想いますが、以前掲載した作品を載せます。ただ、作品は進むほど進化していて、以前の内容とは違う部分も多々あります。前回掲載した内容の最後の方は投げ遣り的になっていて、中途半端で終わりにしてしまった。反省しています。何と言うか、言わば、前回は書き殴り、今回は清書という感じになるでしょうか】


「こっちに引っ越して来たんだって?」
 大介はリードするように、矢継ぎ早に話し掛ける。
「夫とは東京で知り合い結婚したけど、彼は長男なので実家の三重に引っ越した。それは大ちゃんも知ってたでしょ。けど、夫が亡くなれば結構居づらいのよね。彼には弟が二人も居るから、義理の両親の面倒見るだろうから、思い切って返って来た。それに、居座ると財産目当てと思われるのが嫌だったし」


「俺、旦那さん見たことある。結婚式に呼んでくれたから。しかし、亡くなるの早かったね。幾つだったの?」
「46歳」
「死因聞いてもいい?」
「脳梗塞」


「え、そんなに若いのに?」
「油っぽい物大好きだったから、油が溜まって血管塞いじゃったんじゃないの?」
「本当に?」
「知らないよ。私は病名を知らされただけだから」
智子の言い分はご尤もだ。死んだ事実の方が衝撃で、その理由を詳しく聞く余裕が無い。仮に、原因が油脂分の取り過ぎと言われたら、夫の親戚達に食事管理がなってなかったと責めを受けかねない。
   
「こっちに越してくれば、智ちゃんの親戚も多いしね。良い選択だと思うよ」
「まあね。実家に戻ろうかとも思ったけど、私の妹が家に陣取っていてね、戻れなかった」
「妹さん、結婚したの?」
「独身よ。母としょっちゅう喧嘩しながらも一緒に暮らしている」


「そうなんだ。叔母さん元気? なかなか、叔母さんの家まで行けないから様子が分からない」
「元気だったけど、この間捻挫しちゃって。それで、母の代わりに出席してくれと頼まれたからこの法事に来た。それに、此処で暮らすなら親戚に顔出しして置いた方が色々と助かるだろうからって」
 根草大介と沢登智子はこの日、祖父母の法事に出席していた。


「そうか。智ちゃんはバツイチになったんだよな。俺もさ、女房と離婚した」
「浮気でもしたんでしょ。男って、どうしようも無い動物だから」
「言ってくれるね。旦那も浮気してたんじゃ無いの?」


「してた。だから、とっちめて遣ったわ。白状させ、もうしないという確約したのを録音したよ。でも、もう必要なくなった」
「怖い・・・」
「そうよ。その夫の浮気で、何となく鬱陶しかった義母の口封じが出来たわ」
 智子が、若い時から少々気が強い女性であったのを、大介は思いだした。


「何処に越して来たの?」
「練馬区。やはり東京よね。仕事が一杯ある」
「働いているんだ。頑張っているんだな。そう言えば、女の子が居るって聞いてるけど、その子の為にも働いているんだ」


「まあね。母子家庭の手当てだけではね」
「何歳?」
「15歳。来年春高校。受かればね」
「ウチの息子と変わらない。拓海は16歳」
「あら。だったらもう、高校生じゃない?」
「そうなんだけどさ、彼奴、今不登校中なんだよ」
「何時から?」
「二ヶ月前ぐらい前から」


「それじゃあ、早いとこ何とかしなくちゃ。ズーッと行かなくなるよ」
「分かっているけど、引き籠もっちゃって。俺と満足に話をしないんだ」
「そんなに難しい子なの?」
「やはり、女房と別れたのが影響してるのかな?」
「何時離婚したの?」
「三ヶ月ぐらい前。一応、拓海の受験勉強に影響しないように、彼奴が高校に受かってから別れた」
「あらそう。大変ね。その点ウチは心配ないわね。もう居ないから離婚しようが無い」
 智子はそう言って笑った。


 智子の、その笑顔が大介の心に響く。
(さすがに若い頃と違って老けているが、やはり消えない魅力が残っているな)


 実を言うと、大介は十代の頃から智子が好きだった。「いとこ」という血縁関係から自分の気持ちを抑えて来た。
 若い頃には偶に会う機会があって、その時話を交わすのがとても楽しみだった。

ほら探日記Ⅲー5 恋の季節 2


 保(やす)来(き)信(しん)次(じ)郎(ろう)が久しぶりに旅館に戻る。


「和ちゃん、色々あって大変だったね」
「うん、大丈夫。先週、父が亡くなったってメールがあったの」
「それは何と言って良いか・・・。折角会えたのに、悔やまれるね」
「いいの。でも、やはり生きている内に父に会えて良かったと思う。孝太郎叔父様に感謝している」
 木村和枝に、落ち込んでいる様子は無い。


「僅かな時間だったけど、父は母と私を捨てたのでは無いと分かっただけでも嬉しかった」
「良かった。和ちゃんが落ち込んでいるのでは無いかと、ズーッと心配していたんだ」
 少々大袈裟に言う信次郎。和枝にしてみれば、それは十分承知の事でもあるので気にせず受け止める。


「所で、和ちゃんが女将になったんだってね。若女将からようやく格上げだね」
「私に務まるかどうか分からないけど。未だ未だお母さんに、元気でこの旅館を切り盛りして欲しかったのだけどね」
「これで良いんだよ。和ちゃんは唯一無二の適任者。この旅館を守れるのは和ちゃんしかいないさ。お袋もいい歳だし、もう旅館業から解放してやっても良いだろう」
「そうね。ゆっくり旅行するとか、好きなことに専念するとか」
「旅行はともかくとして、お袋は旅館バカみたいなものだったから、趣味なんて無いだろう」
「それもこれも信ちゃんが悪いのよ。少しは旅館の事も考えて上げて」


 和枝が完全に旅館の女将になっている。彼女が、自由気ままに振る舞っていた信次郎に、旅館の件で今まで一度も意見したことは無かった。
 信次郎も、まさか和枝からお説教のような言葉を聞くとは思ってもみなかった。


 旅館の中心者として見れば頼もしいが、その一方で、彼女から可愛さが逃げていくようにも感じる。



 最近、彩音が昼の一時過ぎると小一時間ぐらい出掛けるようになった。
「彩音。お前、何処に出掛けているんだ?」
「ズーッと、することが無くて事務所に閉じ籠もって居ると、太っちゃうからね。ダイエットで散歩してるの」
「うん、健康的で良い事だ。なんか、パン屋の陸君も散歩が好きらしいな。彼もダイエットしてるのか?」
「そうなの? パン屋の叔母さんから聞いたの?」
「まあ、そんなところだ」
「私も、彼と一緒に散歩しちゃおうかな」
 ヌケヌケとしらを切り通す彩音。
 二人して散歩して、近所の公園などで仲良くしているのを、信次郎は知っていた。


「ところで、宮下とはどうなったんだ? 振られたのか?」
「どうして私が振られるのよ。こんなに可愛いのに」
「ナルシストよ。折角宮下という彼氏が出来たというのに、残念だったな」
「刑事さんは警察関係の女性が似合ってるのよ。私はあの職業に付いていけない感じ」
「だよな。浅羽をみれば誰でも考えるよな」


 浅羽は宮下の先輩刑事。階級も上である。浅羽刑事は、今は離婚し独り身状態だ。


 それにしても、彩音は陸を、あんな男どうでも良いと言っていたのに、話が違う。いつの間にこうなったのか?
「オイオイ、オイオイ」という感じである。