創作小説

小説を主に掲載していきます。

回り道 その14

 ドカドカと拓海がキッチンに現れた。
「連れて来たよ」
「良く来てくれたわね」
 智子はご飯の盛り付けをしながら応え、後ろを振り返り、キッチン入り口に視線を向けた。


 智子は、思わずご飯茶碗を落としそうになった。
「えっ! 女の子なの?」
 拓海の後ろに隠れるようにして立っていたのは、紛れもなく女性だった。否、そうに見える。
(まさか、トランスジェンダー?)
 智子は、拓海の相手ならあり得るかも知れないと思ってしまう。
「紹介するね。河里菜実さん」
「菜実です」
 彼女はちょこんと頭を下げた。


 全く予想もしていなかった展開。拓海の友達が男なら、多少変わっていても動じはしない。だが、彼女となると受け止め方が大きく違った。
 智子は心の動揺を抑えながら二人を席に着かせる。


「拓海君ったら、彼女なら彼女と最初から言ってよ」
「彼女かどうかは分からないけど、友達は友達じゃん」
「そりゃ、そうだけど。菜実さんって言ったわね。お歳は幾つ?」
「18です」
「拓海君と同じお店で一緒に働いているのね。ご両親と一緒に住んでいるの?」
 すると、拓海が口を出す。


「菜実さんの両親は彼女が小さい頃離婚したんだ。それで、最近までお母さんと二人で暮らしていたけど、菜実さんのお母さんが身体の具合を悪くして、今は実家に帰っている所」
「それじゃあ、今は一人で住んでいるの?」
 智子は菜実に向かって質問する。が、またしても拓海が割って入って答える。


「菜実さんも、一緒に田舎に帰ろうとお母さんに言われたらしいけど、学校の件もあるし、もう少し東京に居たいって、一人残ったんだ」
「一人で住んでいて、危険は無いの? アパートに住んでいるの? 家賃大変でしょ?」
 智子は矢継ぎ早に質問する。


「チョット古いけど、3階建てのマンションタイプのワンルームに住んでいる。大家さんがとても親切で、セキュリティーにも気を配ってくれてるよ。生活費は田舎から送ってくれてるんだって。そりゃ、一人暮らしだもの。心配して仕送りしてくれるさ」
「拓海君、部屋に行ったことあるの?」
「うん、あるよ。何で聞くの?」


(何でじゃ無いでしょ)
 智子は心の中で拓海を叱る。


 大人から見れば、一人暮らしの独身女性の部屋に行くと言う事は、よからぬ想像をしてしまうのは当然。
 だが、何も無かったのかと聞く訳にはいかない。智子は気掛かりな部分を一旦置いて、話題を元に戻す。


「貴方の実家は何をしているの?」
「祖父母が野菜を作っている農家です」


(成る程。だから名前が菜実なんだ。きっと祖父母が付けたのね)
 智子は、余計な推理をしてしまう。


「それじゃあ、お母さんはお手伝いも兼ねて、療養しているんだ」
「はい。最近は健康になったと喜んでいます」
「そうよね。自然の中で過ごすのは身体に良いものね」
 ここまで来て、智子の菜実への質問が思いつかなくなってしまった。


 本当は、拓海の友達が家に来たら、バイト先のとんかつ店の様子を詳しく聞き出す積リで居た。
 所が、遣って来た友達というのが男で無く女だった。予定が狂って仕舞い、店に関しての質問は何処かに行ってしまった。


「あらごめんね。話し掛けてちゃ食べられないよね。私、洗濯物が乾いたかどうか見てくる。気楽にして食べてね。拓海君、お替わりは頼むね」
 智子はキッチンを離れた。

回り道 その13

 結菜は話を続ける。
「私、この前、お母さんが付けているノートを見たの。そこには、細(こま)々(ごま)と料理に関して書いてあった。味については勿論、行った先の店のメニューとか店内の様子とか。スーパーの惣菜に付いてまで書いているのよ。それで、結菜がお母さんに聞いたの。そしたら、何れお店を持てたら良いなと思って勉強しているんだって」


「どんな食べ物屋さんを開きたいと言ってた?」
「それは言わなかったけど、でも、今の段階ではトンカツ店ね」
「トンカツ屋? 拓海がバイトしているあのとんかつ店?」
「そう。拓っくんにお母さんが色々聞いていたもの」
 いつの日から結菜は拓海を、拓っくんと呼ぶようになったのか? だが、拓海の前でその呼び名で彼女が呼ぶのを、大介は聞いたことが無い。


「とんかつ店ね。専門店なら、少ない人数で切り盛りするには案外良いのかも知れない」
「拓っくんは関心が無いのか、お母さんが質問しても答えられないことが多くて。だから、自分より長くバイトしている友達に詳しく聞いておくって、追い払われていた」
「ハハハハ。拓海らしいや。彼奴にそんな細かい芸当、出来るわけが無い」
 大介は笑ったが、結菜は笑わない。


「もう一つお願いがあるの」
 大介の顔色を窺うように結菜が語りかける。
「何かな? 食事代かな? 勿論おじさんが払ってあげるよ。心配しないで」
「ありがとう。でもその事じゃなくて、お母さんがお店を出す時、資金援助して欲しいの。お父さんの死亡保険金があるけど、それを使っちゃって、もし店が潰れたら私たち飢え死にしちゃうでしょ?」
 飢え死にはともかくとしても、それは大変だと大介も思う。


「規模によるな」
「全額って、駄目?」
「そうだねー。共同経営者として俺が入るなら考えても良い。やはり女手一つじゃかなり厳しいからね」
「ふーん。お母さんがそれでも良いと言うならね」
 結菜は少し、不満というか不安というか、そんな表情をする。


 丁度そこに智子が現れた。結菜の姿を見ると、
「結! お風呂場掃除してよね」
「はーい。でも、期末試験がもうじきあるから、勉強が終わってからね」
 そう言うと、疾風の如く2階に駆け上がり、姿を消した。
「全くもう。何時もああやって逃げる。後でと言って、遣った試しが無いんだから」 
 大介は、ただ微笑むほか無い。


 困惑


 数日後。
 拓海が朝食を食べにキッチンに現れる。最近は智子と一緒に食べる機会が多くなっている。智子は同居メンバーの中で一番早く起きる。三重県に住んでいた頃からの習慣だ。
 早く起きたのに遅く食べる朝食。でも、彼女の場合は調理しながら味見と称して適度につまみ食いしているので、お腹は持つ。


「あのさ、友達をこの家に連れて来いって言ってたけど、来週の土曜日に来るって」
 拓海がぶっきらぼうに智子に伝える。智子は拓海に、友達を家に誘うよう言っていた。
「そう、何時頃?」
「お昼ちょっと前ぐらいだと思う。智子おばさんの料理は旨いよって言ったら、一度食べてみたいって」


 勿論、褒められて悪い気はしない。友達が根草家に来てくれるのは望んでいた事。ただ、その友達と結菜が顔を合わしたら、若しかしたらこの家に入り浸り状態にならないか。そんな不安を抱く智子。


 夜、帰宅した大介に早速報告をする智子。
「どんな子なんだろうね? 遊び人タイプなんだろ。不良っぽいのかな?」
「その点がちょっと心配」


「別に、飯食いに来るだけだろ。長居をされるのが嫌だったら、拓海にそう伝えておきなよ」
「そーね。ただ、結菜がね」


「成る程。結ちゃん可愛いから、その友達に好かれたら大変と言う事か。それなら、その日は俺が結ちゃんを外に連れ出すよ」
「大ちゃんは、拓海君の友達、合わなくても良いの?」
「智ちゃんに任せる。智ちゃんは眼力有るし、女性からの批評眼は結構鋭いからね」


 当日。智子は若者が好むメニューの料理をテーブルに並べた。間もなくお昼である。
 拓海達は約束の時間に遣って来た。


「只今」
 相変わらず、ぶっきらぼうな感じの拓海の声が聞こえた。
「いらっしゃい!」
 玄関まで届く声で智子が応える。



Music あした

回り道 その12

 何はともあれ、根草家の共同生活は順調に船出する。それもこれも沢登智子のお陰と大介は奉る。
 そして、その感謝の気持ちを示そうと、根草大介は彼女を食事に誘う。料理の得意な智子を招待するのだから、生半可な店では折り合いが付かない。
 大介は、奮発して高給料理店に智子を連れて行く。


 智子は、出される料理の一つ一つをジックリ味わいながら食べる。そして、小声でああだこうだと評価していく。
 静かな場を演出するかのように、BGMの小さなメロディーが流れる店内。
 智子の声が廻りに聞こえはしないかと、大介はヒヤヒヤする。


 少しだけ酔いを感じる足で、大介は智子をカラオケに誘った。
「歌なんか歌いたくない」
 智子は拒否したが、
「酔い冷ましの積りでさ。歌は俺が歌うから」
 と、強引に誘う。
 仕方なしに智子もカラオケボックスに入った。


 暫く大介の独唱が続く。歌と歌の間合いを意識的に開け、大介は智子の身体にベタベタと寄り添う。
 その度に、智子に避けられたり押し返されたりする。が、彼は懲りずに続ける。大介は、ほろ酔い加減程度と自身の酔い方を判断していたが、実は大分酔いが回っていた。


 大介が、遂に極めつきの行動に出た。
「智ちゃん、好きだよ」
 いきなり、強引に智子を抱きしめ、キスをする。


 当然反発を食らう。大介の頬に手痛い平手打ちが放たれたのだ。
「私は風俗の女性と違うのよ。嫌らしい!」
 風俗の女性がどんな客扱いをしてくれるか知らなかったが、智子は叫ぶ。


 正直言って、大介は彼女に叩かれてかなり酔いが覚めた。しかし、酔った振りを続けて気まずさを誤魔化す。
 タクシーを拾い、酔いで寝てしまった振りを自宅まで続け、智子に支えられて家に入る。
「大ちゃんって、結構お酒に弱いのね」
 大介は、最大の危機を何とかやり過ごすことが出来た。


 さすがに翌朝は智子の機嫌がとても気になる。大介は、ソーッとキッチンを覗き込む。
 智子は、何時ものように普通に朝食の用意をしている。


 意を決し、大介はキッチンに向かう。
「智ちゃんゴメン。昨日はカラオケに行った迄は覚えているんだけど、後の記憶が無いんだ。智ちゃんが連れて帰ってくれたの?」
「そうよ。大ちゃんは酔っ払っちゃって、変なことしたんだよ」
「えっ、俺、何か遣っちゃった?」
 見事に惚ける。


「本当は覚えているんでしょ? そのことはもう良いよ。顔を洗って来て。ご飯の用意、もう少しで出来るから」
 智子のこの言葉は、大介にとって天使の言葉のように聞こえた。 


 お願い


 次の土曜日。大介がキッチンで食後のコーヒーを飲んでいると、結菜が現れた。初夏とは言え、随分と布を節約した服装だ。
「叔父さん、お早う。お母さんは?」
「洗濯物を干しに行ってる」
「叔父さんは手伝って上げないの?」
「そうしても良いけど、結ちゃんの洗濯物もあるんだよ。叔父さんが干しても良いのかな」
「うわー、上手く逃げられた」


「所でさ、その服装で外に出掛けるの?」
「これは家の中で着てるだけ。外に出る時は違うよ」
「だよね。その格好で外出はチョットね」


 大介は、服装に関してはとやかく言いたくなかった。とは言え、一緒に住んでいると何故か注意をしたくなる。
 いつの間にか結菜も、大介の娘のように感じて来ていた。 


 結菜が顔を突き出すように話し掛けて来る。
「実はね、結菜、叔父さんにお願いがあるの」
 大介の脳裏には、結菜の願いと言えば高価な物を買って欲しいのだろうとしか思い浮かばない。


 机を挟んで、結菜が大介の真ん前の席に腰を下ろす。すると、大介は飲み干したコーヒーカップをテーブルの真ん中に置いた。
「ごめん。もう一杯コーヒーが飲みたくなった。結ちゃん、お願いできるかな?」
 大介は、結菜の要求を安易に受けて良い物かどうかの考える時間が欲しかった。


 と、その時、大介の脳を過ぎるものがあった。
(まさか、夏休みに友達だけで外国とか旅行に行きたいとでも言うのか? いや、それは駄目駄目。危険すぎる}
 大介は、拒絶する体制を心に取る。


 結菜はコーヒーを入れ直したカップを大介の前に置くと、前の席に座り直す。
「叔父さんは、お母さんのこと、好きなんでしょ?」
 結菜の口から予想も出来なかった言葉が飛びだした。大介は動揺する。


(まさか、カラオケルームの件を智ちゃんが娘に喋ったのか? お喋りな智め)
 大介は咄嗟に、カラオケルーム内での失敗を思い起こす。


 だが、危機には百戦錬磨の根草大介。何食わぬ顔で答える。
「そうだよ。結ちゃんの事も好きだし、拓海も好きだし、結ちゃんのお爺ちゃんやお婆ちゃんも好きだよ。だって、血が繋がっているからね」
 的外れな気もするが、大介としては精一杯の誤魔化しの積リだ。

 大介からの返事が予想と違ったのか、結菜は一瞬キョトンとする。そして、
「そうだよね。親戚だもの、協力しなくちゃね」
 彼女の言葉には、何となく企みを含んでいるように聞こえる。


「結ちゃんは、俺に何して欲しいんだい?」
「実はね、お母さんを外食に連れ出して欲しいの。食べ物屋さんって、女性一人じゃ入り難いお店って、結構あるの。でも、叔父さんと一緒ならどんな店にでも行けるでしょ」


 勿体ぶって言った割には、そんな事だったのかと大介は内心呆れる。同時に精神的疲れも感じた。
「何故、そんなにお母さんを外食に誘ってと頼むの?」
「叔父さんはお母さんの夢って、知ってる?」
「知らない。どんな夢なの?」
「食べ物屋さんの店を開きたいの。ほら、お母さんって料理が上手でしょ。その腕を活かしたいのだと思う」
「そうだったんだ。知らなかったな。だから、結ちゃんはお母さんにリサーチをさせて上げたくて色々な店に連れ出して欲しいと思ったんだ」
 そうと知ると、高級店で智子がブツブツ料理の評価をしていた理由が理解出来た。

回り道 その11

 船出


 午後一時頃、拓海が昼食を食べにキッチンに2階の部屋から降りて来た。いつものサイクルだ。
 智子は、既に料理をテーブルに並べている。


「あのさ、俺、来週からアルバイトするから」
 食事をしながら拓海が言う。
「あら、そうなの。良い事じゃない。どういう所で働くの?」
「トンカツ屋」
「トンカツ揚げて売るの? それとも料理を提供する方?」
「ビジネス街にあるトンカツがメインの食べ処」


「よく見つけたわね」
「友達の紹介」
「定時制のお友達?」
「そう。其奴はそこでアルバイトしてる」
 定時制には、職業を持った人など、幅広い層の人達が通う。


「誘われたんだ。それで、何時から何時まで? 休みは?」
 食事を出す都合もある。智子は拓海にスケジュールを訪ねる。
「十時半から一時半まで。ビジネス街にあるからそれに合わせて、土日祭日は休み」
「えーと・・・」
 智子は指を折り、数え始める。


「3時間」
「そうね。でも、中途半端な時間帯ね」
 智子にとって、物事は区切りの良い時間で計算してしまう。30分単位のスケジュールは半端に感じる。


「分かった。ご飯どうする?」
「朝飯だけで良い。昼は店で食べさせてくれる」
「時給は幾らなの?」
「厨房の中の手伝いだし、新米だから860円。交通費は出してくれる」
「う~んと、3時間だから・・・」
 年を取ると、なかなか暗算がスムーズに出来ない。況してや計算し辛い端数もある。


「一日2580円。一ヶ月二十日働くとして51600円」
 拓海がパッパと答える。お金を貰う立場だから、既に計算済みなのだろう。
「金額としてはどうなのかしら?」
「安いと思う。余り高い金額では雇えないと言う事で。この金額でいいのなら来て欲しいって。俺、お金が欲しいわけでは無いから丁度良いなと思って」


 確かに、父・大介の収入は多い。沢登母娘の食や住を賄い、更に、智子には家政婦代として小遣いまで上げている。
 勿論、拓海も父親の収入恩恵を受けて、小遣いとしてそれなりの額を貰っている。


「何でアルバイトをする気になったの?」
「だから、友達が誘って来たから。家で暇してるなら働いてみなって。しんどいけど、色々変化があって面白いから。これから先、社会の中で暮らしていくのだから、今から経験して置いて損は無いよって」
「そう。良い人みたいね」
「うん。チョット遊び人風でもあるけど」


 確かに、家で閉じ籠もってているよりは、社会経験を積めばそれだけ経験値が上がる。智子には反対する理由が無い。
「慣れたら、そのお友達という人、連れてらっしゃい」
 智子は、自分の目でその友達の品定めをしたかった。


 その晩、智子は大介に拓海のアルバイトの件を話す。
「良い方向に行ってるね。これも、一重に智ちゃんのお陰だ」
 それとなく、智子を褒める。


「それは良いんだけどさ、拓海君の友達という人が。本当に良い人ならいいんだど・・・。拓海君がチラッと、遊び人風だって言ってたのが気になる」
「良いじゃ無いか。拓海は男だ。犯罪に手を染めたりしなければ、多少羽目を外した処で。いや、却ってその方が大人になっても安心だ」
 大介は、全く気にしていない。


 世間の荒波を知らずにいきなり社会に出るよりは、少しは遊びや様々体験して置く方が落ち着きを持って対処出来る。それが大介の考えだった。


 それよりもなりよりも、向き合ってビールを飲む智子が色っぽい。その方が気になる。
 彼女は風呂から上がってパジャマ姿。薄手のに羽織る物を掛けているが、胸元までは覆ってない。パジャマも、首筋まで止めて無く、少し開いている。智子の動きによっては、胸の谷間もチラチラ覗ける。


 大介はこの様なシチュエーションを待っていた。ほぼ単身者の生活と同じ、実に殺風景な景色に魅力的な花が咲いた。
 智子に、単に家事をして貰いたくて引き入れたのでは無いのだ。


 女性経験が決して少なく無い大介であるが、やはり好きだった智子と一緒に居る。邪(よこしま)な気持ちを持たない筈がない。
 男という者は、年齢に関係無く、大した露出でも無いのについつい目が行ってしまう。
 しょうもない生物ではあるが、本能がそうさせるのだ。


 大介が智子に、時折ゴマをするとか、或いはお世辞を使うのも、こんなシーンを長く続けたい為でもあった。
 最も、大介の気持ちがそれだけなのかどうかは、分からないが。

回り道 その10

 拓海は学校に通うために毎日4時頃家を出る。智子は、軽い食事を用意する。大概パン食に合わせた一品を出すだけではあるが。
 夕食というか夜食は学校でも食べられる。


 平日はこの様な感じで過ぎて行く。拓海にとって顔を余り見たくない大介や結菜とはすれ違いの毎日。実に順調に同居生活は進む。
 拓海は次第に智子の存在を嫌がらなくなっていた。智子を母親の様に感じて来たのだろうか?


 問題は、土日祭日。同居してから1ヶ月ほど経ったが、未だ全員揃って食事をしたことが無い。拓海だけが後から一人で食べている状態だった。
 食事が終わると、再び部屋に籠もってしまうか外に出掛ける。


 もう一人、何というか、厄介というか面倒というか、結菜の存在だ。彼女は、拓海の行動パターンを知り尽くしていて、拓海が表れる頃になると自分の部屋にスーッと消える。
そして、拓海が食事を終えて部屋に戻ると、再び階下に降りて来て、智子や大介と歓談する。


 この様な行動は、親に限らず大人からすれば、実に扱い難い。
 結菜が拓海をはっきりと嫌っているなら、それはそれで分かり易いのでそんなに気にならない。
 しかし、結菜が拓海を嫌っている風には、どの様に見ても見えないが、だた、明らかに避けている状態。
 人生経験豊富な大介や智子には、結菜が拓海を意識し過ぎていると分かる。だからと言って、どうして良いかは分からない。

 遂に焦れた大介が智子に囁く。
「どうなのかな? 結菜君は」
 勿論、この大介の質問の意味が智子には分かる。結菜の母親である智子は、大介以上に複雑な気持ちなのだ。
 智子は、何故か大介の言葉を素直に受け止められない。


「結菜が何だって言うの?」
 気分悪そうに智子が返す。
「ゴメン。気を悪くさせてしまって。ただ、このままでいいのかなー、て、思ったから」
「どうだったら、大ちゃんとしては満足なの?」
 まだ、気分が悪そうである。


「うん。ただね。ほら、若いって、とんでもない方向に走りやすいじゃん」
「どう言う方向によ?」
「うん。不味いことにならなければいいなと思ってね」
「それは拓海君次第でしょ。結菜の方からなんて訳無いんだから」
「それもそうだよな。分かった。俺、拓海がどう思っているかそれとなくに聞いてみる。事が起きる前に」
 大介は、何となく決まり悪そうに答えた。


 口では拓海に注意すると言ったが、大介がそんなことをする訳がない。単にその場を収めなくてはという安易な発言だった。
 女性は強い。あっという間に根草家は智子を中心に回るようになっていた。



 ある日、結菜の友達が根草家に遣って来た。親友の朝焼七海である。
 結菜の案内で二階に上がる。

階段は折り返すように上がって行く。上がりきった右手が拓海の部屋。結菜の部屋はその先にある。
 七海は、拓海の部屋のドア前で止まり、無言でしきりにドアを指さす。
 彼女の指先が、
「この部屋が噂の拓海の部屋なのね?」
 と言ってる。結菜は頷く。


 二人が結菜の部屋に入ると、早速七海が部屋の品定めをするかの如く見回す。
「結構良いじゃん。少し細長タイプだけど、窓が広くて明るいし」
「うん。アパートに住んでいた頃に比べれば、自分の思い通りに部屋を飾り付けられるので楽しい」
「ねえ、盗撮カメラとか仕掛けられていないよね?」
 七海は、更にキョロキョロと部屋の中を観察する。


「まさか」
 と、結菜は否定するが、ついつい七海に吊られて、一緒になって辺りを見る。
そして、我に返ると、
「有るはず無いよ。ドアは鍵を掛けてるし、その鍵を持っているのは私と母だけ」
「お母さんも持っているんだ」
「だって、何かあった時、ドアに鍵が掛かっていて開けられなければ大変でしょ」
「それもそうね。でもさ、盗聴器はどうかな? 秋葉原に行けば簡単に手に入るし」


「ほんとに?」
「そうよ。コンセントの中に埋め込む奴もあるんだって。電池要らないから壊れるまで盗聴されっぱなし」
「やだー、キモい」
「私に任せて」


 七海は、そこいらにあった紙をメガホンのように丸める。そして、スマホで音楽を流すと、筒の先をコンセントにつけ、反対側の筒先にスマホを当てる。
 そのようにして、七海はスマホの音楽を最大限に上げたりミュートしたりと操る。


「七海、何してんの?」
「こうすればさ、盗み聞きしてれば大きな音にビックリして慌てるでしょ」
 ふざけた行為に思えるが、七海はいたって本気で、幾つかあるコンセントに同じ事を繰り返す。


「どう? あっちの部屋で何か反応していない」
「あっちって?」
「拓海とか言う彼の部屋よ」
「何にも聞こえないよ」
「そうか。じゃあ、盗聴器は仕掛けられていないな」
 果たして、七海の行った盗聴器探しが有効だったかどうかは分からない。

 話題は必然的に拓海に向かう。
「所でさあ、彼、イケメン?」
 七海が、予想通りの質問をして来た。


「この間も同じ質問してきたよね。イケメンかどうかは個人差があると思うのでなんとも言えない」
「何回か顔を合わしているんでしょ。他人がどう見るかはいいの。結菜がどう思ったかだよ」
「私? う~ん。普通。実はね、彼とは殆ど顔を合わせてないの。ほら、彼は定時制に通っているでしょ。私とは生活リズムが違うから」
 と、結菜が答えたが、実は休みの日にはチラチラ会う機会がある。機会があるだけで、出来るだけ避けてはいる。


「へー、そんなもんですかね? でもさ、今日は居るんでしょ? 土曜日だし」
「多分。何時も静かなんで分かんない」
「音楽を聴いているとかゲームをしている音、しないの?」
「していたとしてもヘッドホンしてるんじゃ無い? 静かよ」


「静かなのは若しかして、壁に耳当てて結菜の部屋の様子を窺っているからじゃない?」
「あり得ないよ。彼の部屋と私の部屋には、間に部屋があって離れてるのよ」
「ねえねえ、じゃあ、あのドアに耳当てて、私たちの話を聞いていたりして」
 七海が部屋のドアを指さし、小声で結菜の耳に囁く。それを嫌うように結菜が言う。


「もう止めて。彼はそんな人じゃ無いから」
「へぇー、殆ど会ってないのに分かるんだ? やっぱり、彼の事が気になってるんだな」
「そんなんじゃ無いって。もう、その話は止めよう」
 結菜が、話を断ち切る様に言う。
 いつの間にか二人の会話は、拓海を彼と呼んでいた。