創作小説

小説を主に掲載していきます。

回り道 その9

 沢登智子は、大介の息子・拓海を部屋から出すことに成功した。最も、部屋に閉じ籠もっていたのは大介や智子が居た時だけ。
 智子が来る前は、大介が会社に行った後、拓海は伸び伸びと過ごしていた。
 入浴やシャワー浴びも自由勝手に出来るし、外出もしていた。


 智子が成功したと言えるのは、家族とか身近な人の前に顔を出させたに過ぎない。、外で会う人達とは普通に接触していたので、引き籠もりと言えるかどうかは疑問である。
 とは言え、大多数が教育を受けている年代。何もせずに時間を無駄に過ごすのは、将来を見据えれば不利。
 何とか拓海を、再び学びの場に戻して遣りたい。それが、何時しか智子の強い思いとなっていた。


 拓海がキッチンで昼飯を食べていると、智子がテーブルの上に印刷物を広げる。
「ねえ、学校って色々あるのを知っているよね。全日制だけで無く、定時制や通信制、フリースクールみたいな所とか」
「・・・ ・・・」
「拓海君が進学した高校が嫌なら、無理して復学なんて考えずに、別な学校に行けば良いのよ。私、インターネットで色々調べたのよ。で、拓海君に合いそうな物をプリントした。
ね、これに目を通して。このままじゃ勿体ないよ」
「・・・ ・・・」


 拓海は無言。だが、食べ終わると、智子がプリントした用紙を手にし、2階の自分の部屋に戻る。その後ろ姿に、智子はエールを投げ掛ける。
「ありがとう。叔母さん、手続きには一杯協力して上げるからね」


 智子の気持ちが通じたのか、それとも当人が何とかしなくてはと考えたのか、数日して拓海は定時制高校へ編入したいと言って来た。
 智子は、喜び勇んで入学の為の手続きに奔走する。


 結菜に、智子が再び根草家同居への打診する。結菜の、前回の返事が曖昧だったと感じたからだ。
「考えても良いけど、でも、条件がある」
「どうぞ。並べて」
 どうやら、結菜が条件を出す時は一つで無く、複数の場合が多いようだ。


「先ず、ドアに鍵が掛かるようにする事。トイレは、結菜達は2階のトイレ。男は一回のトイレを使用すること。1階のトイレも、座ってする事。入浴中は洗面所にも入らない事。洗濯物を洗濯機に入れに来たなんて言って、覗いたりしそうだから」


「成る程。ドアの鍵は多分取り付けてくれると思う。問題はトイレ。大ちゃんは受け入れてくれるだろうけど、拓海君がね。座りオシッコは、強要してもどうかな? 覗きに関しては、入浴中の札をぶら下げれば良いと思うよ。紳士であることを信じよう」
 慣れていると見えて、智子は条件提示にスラスラと応えて行く。


「何で座って出来ないの?」
「男は、可笑しな事を言うのよ。『沽券に関わる』とか。股間だろうがと言いたいよ」
 母娘は大きな声で笑う。

  結局、総合的に判断して、沢登母娘は根草父子との同居を決めた。それには、拓海が定時制高校に通い続けていたのも影響していた。


 結菜の高校入学という区切りを考慮し、同居は入学前の3月後半となった。
 全面的な引っ越しは、業者の繁忙期と重なるので後日にして、取り敢えずは当座必要な物を根草家に運び入れる。根草大介は、自家用車を何往復かさせて、彼女らの荷物を運んだ。
 当座必要な品物と限定したのだが、何だかんだと増え、結構な品数となる。 


 根草家は、同居決定の際に部屋割が行われた。拓海の部屋は既に定まっているので変更は出来ない。
 結菜は、2階奥のお客さん用にあつらえられた部屋。その手前に智子の部屋。拓海と智子の部屋が向かい合う形となった。階段を上がった一番奥がトイレと簡単な洗面台。


 智子と拓海の部屋が向かい合ったことで、彼女が拓海を監視できる形だ。現時点では、部屋から出てきてるとは言え、年頃の娘が居る以上、拓海は警戒するべき存在だった。
 監視の必要があると、沢登母娘は考えていたのだ。


 そして家の主・大介は1階の物置に使っていた部屋。2階にあった書斎兼寝室が智子に取られた形だ。


 新生活


 根草家の春。出足は危惧していたより遙かに順調に滑り出す。
 智子が拓海に、定時制高校に拘って勧めた訳では無い。拓海が色々ある選択肢から、自ら選んだもの。それ故に、彼は嫌がらずに学校に通っている。
 そうなると、当然拓海と他の同居者間の生活リズムが違った。


 朝、出勤前の大介と結菜は重なる時間が多い。騒がしく忙しい時間から静けさが戻ると、拓海がのこのこキッチンに顔出す。
 智子は拓海に朝食を出す。それは、彼女にとっては大した労では無い。朝、一緒に纏めて作った料理を各自の時間に合わせて出すだけだ。


 少し遅い昼食は、智子と拓海が同じテーブルで食事をしている。拓海は、智子がしきりに話し掛ける言葉に、面倒臭そうに返事をするだけ。から返事の様なものだ。
 それでも智子は、拓海が彼女の話に耐え、逃げ出さないだけで満足だった。

回り道 その8

 週末、大介は智子を食事に誘った。
「いつも家事をしてくれて有り難う。お陰で、男所帯の陰鬱な雰囲気が消えて、明るくなった。それに、拓海を部屋から引き出してくれたし、智ちゃんには本当に感謝している。感謝しきれない位だ」
「そんなー。私はただ好きだから遣ってるだけ」
「いやいや。料理は絶品だし、俺は智ちゃんの料理を食べるのが楽しみになっている。拓海だってそう思っている筈だ。毎日コンビニ弁当じゃあ、心配だったしね」


「拓海君、最近表情が柔らかくなって来たのよ。突っ張るのが面倒になったみたい」
「そりゃ、良い傾向だ。智ちゃんのお陰だな」
「でも、このままじゃ駄目よ」
「どうしたら良い?」
「私ねぇ、復学させてあげようと思うの」
「拓海が? 彼奴は変なところに意地っ張りだ。復学なんて絶対にしないよ」
「そうかも知れない。だから、転校とか夜学、通信教育、フリースクールでも良いわ。とにかく、もう一度教育を受けさせるべきよ」
「言って、素直に応じる玉かな? 彼奴」
「一応、私遣ってみる」
「何か悪いね。宜しく頼む」


 食事を食べ終わって、食後のコーヒーを飲む二人。
「所でさ、同居の話、もう一度検討してみてくれない。拓海の為にも」
「拓海君の為に? 別に同居しなくても同じでしょ」
「違うんだな。やはり智ちゃんが常にいるという雰囲気が必要なんだよ。どうやら、拓海は智ちゃんを母親の様に思って来ているようだ」
 実際は、拓海の心の内など全く捉えていない大介。口から出任せとも言える。


「私が拓海君の母親代わり?」
「そうだよ。だから、もう一度考え直してさ」
「でも、結菜が同意してくれないから」
 やはり、同居を断ってきたのは結菜が反対したからだった。


 揺れる


 沢(さわ)登(と)結(ゆい)菜(な)にとって、今は天国。人生最初の大きな試練である高校受験に合格し、胃の痛くなるような不安や苛立ちから解き放された時間。
 こんな状況で、更に勉強をしたいなんて若者がいたら、祭り上げたいくらいだ。


 学校側も、自習や時間短縮等が増える。例え無断欠席をしても、連絡も来ないし何も言われない。
 勉強という、余り面白く無い縛りから一時的にせよ全面解放され、自由満喫の青春といった所だ。


 勿論、結菜も例外では無い。
 彼女は唯一の友人である、浅木七海と会っていた。
「ナナミと同じ高校に受かって良かった」
「私も。ウチの中学校からは結菜と私と二人だけだもんね。でも、結菜が一緒なら心強い」
 結菜が三重から転校して来て、唯一友達になってくれた七海。彼女が望んだ高校に結菜も受験する。そして共に合格できた。一層の絆が生まれる。


「所でさ、引っ越しするとか言う話、どうなったの?」
「止めたよ。だって、暮らし難いもの」
「嘘ー。少し前まで、あんな家に住めたら良いなって、言ってたじゃん」
「気が変わったの」
 結菜は含みを持たす言い方をする。


「若しかして、結菜が言ってた閉じ籠もり男に会ったんじゃ無い? すっげー、キモかったとか?」
「違うよ。確かに顔を合わしたよ。でも、そんなんじゃ無い」
「じゃあ、この家の住んでみたいなとか言ったら、叔父さんとかに断られたんだ?」
「そうじゃない。ただ、折角慣れたこの地域から、また引っ越すのが嫌になったから。それに七海と離れちゃうし」


「私はね、結菜が引っ越したって別に何ともないよ。だって、あの家ならそんなに離れていないし、何時でも会える。それに、少し離れたぐらいで友達関係が崩れてしまうとは思ってないし」
「有り難う。私、途中で引っ越して来たから友達少ないから、七海が友達になってくれて嬉しいんだ」
「うん、これで友情を確かめ合えたと。これからも色々協力していこうね」
 二人は、掌をたたき合うようにパチンと合わせる。


「所でさあ、やっぱり知りたいんだけど、その拓海という人と顔を合わせたんでしょ? やっぱりイケメンじゃなかったの? 相当酷いとか?」
 結菜は以前から七海の前で、拓海の事をボロクソに批判していた。


「どうかな。人それぞれ好み違うから・・・」
 結菜の返答は、打って変わって曖昧な内容になっていく。
「結菜はどう思ったのよ?」
 七海は突っ込んで来る。ねじ込まれる感じで迫られそうな予感。


「私の気持ち? 結菜は普通よ」
「何? その普通よっていうのは。ははーん、結構好みのタイプだったんじゃ無い?」
「そんなこと無いって」
「まさか、一目惚れしてないよね?」
「もー、七海、ちょっと可笑しいよ」
「そうか、そうか。成る程ね。だったらさ、その、叔父さんとか言う人に、一緒に住みたいと言ってみな。結菜のお母さん、重宝がられているんでしょ。OKしてくれるかもよ」


 結菜は、根草家との同居を断ったのは自分だとは、七海に言ってない。確かに、アパート住まいより根草家の一軒家に住みたいと、七海に以前語っていた。
 だが、母から同居話を持ちかけられた時、自分でも分からないうちに、何となく断っていた。


「やはり、親戚同士とは言え、男女が同じ家で暮らすのは不味いと、叔父さんもお母さんも考えたんじゃ無い?」
「今時そんなの可笑しいよ。だって、考えてみてよ。シェアハウスなんか、ヤバい年代の男女が一軒家に暮らしているのよ。どれだけ危ないか。それに比べれば、親戚同士なんだし、そんな男女の関係に発展するはず無いでしょ」


「それはそうかも知れないけど。でも、周りの親戚の手前がどうのこうのって有るんじゃ無いの?」
「何て言ったって世の中お金よ。一緒に住めば家賃とか食費とか浮いて、結菜のお母さんも助かるんじゃ無いの。それとも、同居代として、家賃取られるのかな?」
「叔父さんはそんな人じゃ無い。・・・でも、七海の言う事も分かるな」
「まあ、私だったら思い切って同居できるように働きかけるな」 


 友達の言葉は、親の言葉より素直に入る年代。結菜は内心、同居拒否を後悔し始めた。
 その一方で、拓海と顔を合わす生活が何となく気まずく窮屈に感じる。結菜の心が揺れる春だった。



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回り道 その7

 結菜は、トントンと階段を駆け上がり、拓海の部屋の前に立つ。
「拓海君。料理が出来上がったよ。一緒に食べよーォ」
 返事が無い。
「今夜はね、お母さんが腕に縒(よ)りを掛けて、美味しい料理を一杯作ってくれたよ。本当に美味しいんだからね」
 やはり、何の応答も無い。
「拓海君は、お母さんの料理が美味しいの、知ってるでしょ? お腹空いてないの?」
 結菜の引き出し作戦は、ただ「美味しい」と繰り返すだけ。


 勝ち気な母親の性格を引いたのか、結菜は苛立って来る。
「いい加減にしなさいよ。何で私たちの前に顔を出せないのよ。イジイジしているなんて男らしくないよ」
 優奈は、一つ年上の拓海に説教する。母親と同じに「男らしい、らしくない」を言う。


 すると、いきなりドアが開き、
「うっせえーだよ、お前! 生意気なんだよ」
 怒鳴るように口走ながら、拓海が顔を出した。


 結菜と拓海の眼が合った。1秒、2秒、3秒。
 拓海はプイッと、結菜から視線を外すと、勢いよく階段を駆け下りる。


 まさか、息子がこうも簡単に折れて、結菜の高校受験祝いに参加するとは思わなかった大介。一瞬驚きの表情を浮かべたが、
「おっ、来たな。よし、精魂込めて智子叔母さんが作ってくれた料理。みんなで頂こうでは無いか」
 そう言って、大介は拓海を隣の椅子に座らせる。 


 後から、2階から少し遅れて降りて来た結菜は、母親の隣に座る。先程まで、弾むように明るく振る舞い、喋っていた結菜が、急に大人しくなった。そして、決して拓海と眼を合わそうとしない。
 当然、大介と智子は、結菜の変化に気付く。しかし、彼等は大人。その場で決して理由など聞こうとはせず、率先して話題を振り撒き話を盛り上げる。


 何時もなら、根草大介が車で沢登母娘が住むアパートまで送るのだが、今夜の大介はアルコールが入っている。なので、智子達はタクシーを拾って帰宅する。


 車中で、智子が娘の結菜に話し掛ける。
「拓海君と何かあったの?」
「別に」
「拓海君の大きな声が聞こえたけど、嫌な事言われたの?」
「何でも無いよ。ただ、いきなりドアを開けられたのでビックリしただけ」
「そう。なら、いいけど・・・」
 智子は、それ以上深入りはしなかった。
「ところで今日さ、大介君がね、一緒に住まないかって持ちかけられたの。結菜はどう思う?」
 智子は話題を変える。
「再婚するの?」
「違うよ。私と大介君はいとこ同士。結婚なんてあり得ない。ただ、私の働きだけでは苦しいだろうから、あの家に住めば家賃の負担や食費にお金が掛からなくなるので、気持ちに少しは余裕が出来るだろうって」
「お父さんの生命保険。あれ、お金入ったんでしょ?」
「何言ってんのよ。あんな金額じゃ、あっという間に出て行っちゃうよ。今後、結菜の大学の費用だって必要でしょ。残しておかなければ駄目でしょ」
 智子の手元には、夫が事故で亡くなった時の保険金が大金では無いけど残っている。
「結菜は、余り乗り気しないな」
「そう。じゃあ、断るね」
 こうして、大介が密かに企んだ沢登母娘との同居作戦初手は見事に頓挫する。

 根草大介は、久しぶりに智子と再開した時点で、密かに彼女との同居を望んだ。智子と同居すべく策も講じた。偶々、息子の拓海が引き籠もり状態になっていたのを利用することを、彼は思い付く。
 とは言え、息子に立ち直って欲しいと彼自身も願っていたのは事実。ただ、その方法が分からず、手を拱(こまね)いていた所だった。
 上手くすれば、両方とも叶えられるかも知れない。一石二鳥の作戦。天がくれた幸運だと、大介は勝手に思い込んでしまっていた。


 図らずも、本来の目的である智子との同居よりも、拓海の立ち直りの方が先に叶いそうな気配になった。それはそれで、親としてはとても嬉しい事である。
 そこで、今度は自分の望みを叶えようと、結菜の試験合格を祝うパーティーで、智子に同居の話を持ちかけた。
 だが、翌日智子から同居を断る旨の連絡を受けた。その言葉を聞いた大介が、嘸かしショックを受けたであろうと思われたが、当人は全く意に介してない。


 彼は、元々すんなり進むとは思っていなかった。ある意味、結婚を申し込むより難しいかも知れないと考えられたからだ。
 大介と智子はいとこ同士。親戚や世間体を考えたら、同居は不自然で嫌らしく見られる恐れがある。
 その上、難しい年代の、お互いの息子と娘が同じ屋根の下で暮らす。何が起きるか分かった物では無い。
 そう考えれば、智子等が同居を拒否するかも知れないと、大介は十分予測していた。


「そうか。でも、あの時智ちゃんは最初っから否定はしなかった。多分、結菜君が同意しなかったのだろう。拓海のことが気持ち悪いと感じてしまったのかな?」
 大介は分析する。
「まさか、拓海を変に意識したのではあるまいな。はてさて、どう作戦を切り替えて行こうかな」
 大介は、諦めてはいない。



短編小説  嵌まる

回り道 その6

 拓海がキッチンテーブルの椅子に座る。そこで智子はハタと困る。
「拓海君ゴメン。時間がアレだから、未だお昼ご飯の用意、出来てないのよ」
 年配になると「アレとかそれ」等の抽象的な言葉が増える。でも、さすが日本人の拓海。意味するところは分かっていた。


「別に何でも良いよ。俺、朝飯未だ食ってないから」
「あらそうなの、じゃあ、直ぐ作って上げるね」
 拓海との会話が成立することに、智子は一種の感動を覚える。


 智子は冷蔵庫から食材を取り出す。冷蔵庫の中は智子の用意した食材がたくさん入っていた。
 食材は、料理の為の物を購入して欲しいと、大介からお金を預かっている。


 薄切りの豚肉と根ショウガの塊を取り出す。フライパンを弱火で温めている間にショウガと少しの調味料、そして醤油を入れてタレを作ると豚肉を浸す。
 一気に火力を強めたフライパンに豚肉を入れる。あっという間に食欲を掻き立てる匂いが立ちこめる。


 出来上がった豚肉の生姜焼きを皿に盛ると、ご飯と一緒にテーブルの上に出す。そして、急いでレタスを手切りし軽く水洗いすると、切ったトマトと一緒に別皿に盛り付けた。
「野菜も食べなければ駄目よ。マヨネーズが良い? それともドレッシング?」
 5分も掛からずに作り上げる手際よさ。見事である。 


 智子は、モクモクと食べる拓海の横顔を見ながらうっとりする。
(この子は良い子だわ。この子なら立ち直れる)
 智子の眼は、愛しい我が子を見つめるような眼差しになっていた。


 二の矢


 根草大介は結菜の受験合格を祝いたいと、沢登母娘に電話で提案する。
「嬉しいけど、結菜が喜んでくれるかどうか?」
「ウチで料理を沢山作り、パーティーをしようよ。智ちゃんの料理美味しいから、材料一杯仕入れてさ。智ちゃんは大変だろうけど、俺も及ばず乍ら手伝うからさ。特大のケーキも用意する」
「分かった。私、料理は苦じゃないから良いんだけど。とにかく結菜に聞いてみる」
 当然のように、結菜に異論など無く、大喜びで賛成する。

 この頃には、智子は務めていたスーパーのパートを辞め、根草家に平日の9時頃から3時頃まで家政婦のように通っていた。
 パーティーの日を週末と定めると、智子は前日に沢山の材料を仕入れる。キッチンは自分の使いやすいように、既に配置換えも済んでいる。
 アパートの自宅キッチンとは比較にならないスペースを、彼女は活き活きと動き回り下準備をする。
 当日、昼過ぎに大介と優奈は車で注文して置いたケーキを受け取りに行く。パーディーの準備は着々と進んで行く。
 


 智子は亡くなった夫と東京で知り合い、やがて、長男という事で三重の夫の実家に入った。智子にすれば、近くに身寄りの全く居ない地域、他人の家に乗り込んだのだ。彼女は、戦場に飛び込む気持ちだった。
 当時、舅、姑、夫の末弟迄もが居座る家で、彼女の自由は無いと言えた。しかし、持って生まれた負けん気が、東京に戻りたい気持ちを抑えた。
(この人達を絶対に私の言いなりにしてみせる。それまでは逃げない)
 智子は自分の心に誓った。


 元々好きだった料理。関東と関西の味付けの違いはあったが、彼女は工夫して夫の実家の味を作る。最初は姑が料理に口出ししたが、やがて、姑の舌も掴むようになった。
 結果、智子は美味しい料理を提供することで一家の心を掴み取り、ある程度の権限も同時に得た。


 昔は、料理が美味しければ夫は必ず家に帰ってくると言われた。その言葉が言われていた時代は、男の浮気というか女性関係は案外奔放だった。男が家に帰らないとか寄りつかなくなる事もしばしば有ったという。
 そんな背景の中で呟かれた言葉なのだろう。


 現在に於いても、男性が調理しようが、女性が調理しようが、美味しい料理が待っていれば、家に真っ直ぐ帰りたいと思うのは同じだ。
 もし、その美味しい料理が自分で作れるのなら、調理するのが楽しいと感じても可笑しくは無い。
 そういう人達の中の一人が智子なのだろう。


「やっぱりお母さんね。レパートリーも豊富だし、味も良いし。だから私、痩せないんだわ」
 結菜の単なる言い分け。
「叔父さんはね、ガリガリに痩せた女性よりも、少しぽっちゃりした女の子の方が好きだな。結菜ちゃんは、そのままで十分可愛いよ」
「そうかな? 今日は結菜のお祝いだから、リップサービスしてるんじゃないの?」
「私は嘘を吐かないよ。じゃあ、ソロソロ智ちゃんの料理を満喫しようか」
 テーブル一杯に並べられたご馳走を前に、大介が椅子に座る。
「チョット待ってよ。拓海君を呼ばなくちゃ」
 智子が言った。


「忘れていた。でも、多分呼んでも来ないよ、拓海は」
 父親の大介が、悟っている様に言う。
「あら。叔父さんは拓海君の親でしょ。冷た過ぎるよ。私が行って連れ出して来る」
 結菜は何の屈託も無く明るく言う。とは言え、彼女に勝算があるわけでは無い。

回り道 その5

 結菜の「拓海の部屋出し作戦」と名付けた作戦が動き出す。結菜が目出度く志望校に受かった後だった。


「拓海君。今日から少しの間、この家の家事手伝いをすることになった智子よ。もうこの件はお父さんから聞いているでしょ。宜しくね」
 以前と同じく、拓海の部屋からは物音一つ聞こえない。
「それからね、叔母さん、拓海君のお昼ご飯作って上げるから、もう弁当を買いに行かなくて良いからね」


 拓海の朝食は、父親が出勤した後、キッチンで一人で食べていた。卵やハム、ウィンナなどを適当に調理し、パンと一緒に食べて簡単に済ましていた。
一方昼食については、彼は父親から昼飯代として小遣いを貰っていたので、その金でコンビニの弁当を買ったり、偶にスーパーで好きな物を購入し食べていた。
 ただ、やはり近隣だとバツが悪いのか、自転車で少し離れた地域まで行って買ってはいた。
 実は、彼は全くの閉じ籠もり生活では無かった。

 智子はマメな性格では無いが、何事もキッチリと仕事をする。遠く離れた土地で、舅、姑の目が光っている中で孤軍奮闘して来た結果でもあるのか。
 智子はテキパキと掃除したり洗濯物を干したりして行く。


 時間を計り、彼女は昼食の料理に取り掛かる。冷蔵庫を覗く。食材はまあまあ有るには有るが、智子のイメージする献立にはマッチしない物が多い。
 それでも料理を作り成れている智子。それなりの料理に仕上げる。


「お昼ご飯出来たよ。キッチンで食べる?」
 智子が拓海の部屋の前で声を掛ける。相変わらず返事が無い。
「もう、しょうが無いわね。ドアの脇に置いとくから、食べ終わったら、器、また廊下に出して置いてよ」
 そう言うと、彼女は料理を取りにキッチンに戻る。
 拓海としては、意地でも智子の前に出たくない。色々な誘い出しに負けて溜まるかという、意味の無いプライドを出す。


 だが、叔母である智子が家の中にいると、何時ものように朝ご飯も食べられなかったし、さりとて、外に買い出しにも行けない。
 人間、意地や名誉やプライドで腹は膨れない。ドアの隙間を通して流れてくる料理の臭いは堪らない。
 遂に、拓海は智子が階下に降りた足音を確認してドアを開け、料理を部屋に引き込んだ。
(旨い)
 若い育ち盛りでもある拓海。朝食も食べていなかったので尚更美味しく感じる。


 実は、智子は二階のドア脇に料理を置いたが、それだけでは引き下がらなかった。彼女はドアの隙間に向かって料理の臭いを送るために扇いでいた。
 さすが中年おばさん。したたかである。


 そんな光景が数日続いた。
 智子の働きも有り、乱雑だった根草家が整理整頓されて来た。彼女は、拓海の部屋だし作戦ばかりで無く、家全体の整理整頓や掃除も行っていた。


 ある程度片づくと、智子に余裕が生まれる。
「今日は一丁、拓海と戦ってみるか」
 智子は、両腕を捲るような気持ちで拓海の部屋の前に立つ。
「拓海君! 私、あなたの部屋の掃除がしたいの。開けてくれる?」
 期待はしてなかったが、やはり返事が無い。 


 十分予想していたことだが、そんな思いとは裏腹に、智子は少し腹が立って来た。
「拓海君、いい加減にしなさいよ。あんた男でしょ。ウジウジ隠れていないで、顔ぐらい見せなさいよ!」
 今や男女平等の時代。何故ここで「男でしょ」という言葉が飛び出すのか、分からない面もある。


「窓、開けてんの? 換気しないとカビ生えちゃうよ。カビが肺に詰まると死んじゃうよ。肺の病気は苦しいんだからね」
 智子は、余り関係無い様な脅し文句を投げ付けた。
「もう、私この家に来ないから。料理も作って上げない!」
 勝ち気な彼女は、今にもドアをたたき割るのでは無いかという迫力でドアを叩く。


 すると、今まで音のしなかった部屋から物音が聞こえて来た。智子がドアに耳を近付けようとした時、いきなりドアが開いた。
 驚かない筈が無い。智子は咄嗟に後ずさりし、後ろの壁にぶつかった。
「分かったよ。台所で飯、食べるよ」
 初めて、智子の前で拓海の口が開いた。


「そ、そうよ。キッチンで食べてよ。その方が私も助かる」
 拓海はその言葉を待たずに、サッサと階下に降りて行く。その後を、彼女はぎこちなく付いて行く。



[Music] 秋風